光一さんのファンをやめる。
前回の更新から、約2年ぶりの投稿となります。
2019年の2月に鬱病になりました。
鬱病の診断が下る数日前に、いつもご一緒していた光一さんファン友だちのAさんと帝劇に向かいました。SHOCK観劇のためです。
いつもなら楽しみで仕方ないのに、光一さんがステージに上がったら胸が踊るのに、もう観劇を楽しむ余裕もないくらいにどこか疲れていて、そして、もう、光一さんを観てもストレスの解消にはならず、ファンをやめる潮時だと感じました。
鬱になると、今まで楽しめていた物も楽しめなくなります。
ファンとして、光一さんの演技力の限界も自分で勝手に感じてしまったこともあり、これを機に一気に気持ちが離れ、光一さんのグッズを続々に手放して行きました。
今手元に残っているのは、ソロコンサートのDVDと緊急コンの物、そして、ナイツテイルのパンフだけです。でも観ることはありません。
鬱病の診断が降りて、仕事を休むことになりました。
1月の下旬から仕事に行くのがとても辛かったのですが、シフト勤務のため、人に迷惑をかけるのが嫌だという気持ちだけで仕事に向かっていました。今でもあの頃良くやったな…と思います。
仕事を休むことになったし、家事でもしなきゃと思ったのですが、掃除機を持ってもすぐにしんどくなり、何度もため息をついて椅子に座りながらどうにかできる有様。だから、仕事を休んでいるんだよな…と思いました。
読書とかもしたい気持ちがあってもやる気にならず、何か少しでも元気になれる物がないか?と思ったときに、桂枝雀さんの落語をYouTubeで聞いてみました。
30年、いや、もう少し前の枝雀さんの落語に癒される自分がいました。
後から知ったことですが、枝雀さん自身も鬱病だったのです。
そこから私のマイブームが落語になり、今も落語を聞きに出かけています。
あと、岡本太郎さんの東京のアトリエにも母と一緒に行きました。
以前、岡本太郎さんのパノラマサイズの絵を名古屋市美術館で見たことがあり、その絵のパワーに圧倒されたからです。絵がまるで生きているかのようでした。
岡本太郎氏は亡くなっているのに、その作品に込めたパワーは今でも残っているように感じました。
今までは、岡本太郎氏のことを「芸術は爆発だ!と言っていたへんなおじさん」としか思っていませんでしたが、この絵を見てから、印象がガラリと変わりました。
そして、以前、テレビに太郎氏の養女さんが出演された際に「疲れた人がいたらどうか太郎のアトリエに来てください。」一言一句同じではありませんが、このような趣旨の事を話されていたのを思い出しました。
少しでも元気になりたかったので、アトリエに行くと、沢山の若者がいました。
改めて岡本太郎氏の偉大さを感じました。
アトリエは写真撮影も可能で、私は、iPhoneで色々と作品を撮影しました。
その中で一枚とても優しさに溢れている絵があって、絵の解説を読むと、それは、幼稚園の壁画に描いた物でした。
毎日この絵を目にして日々成長していく子ども達のことを思いながら、ありったけの優しさを込めて太郎氏は描いたのかなぁと感じて、見ている私も穏やかで優しい気持ちになれました。
鬱病になってから、仕事を休んでいる時期は、丁度平成から令和に元号が変わる時期でもありました。
4月には、読書もできるくらいに体調も回復してきて、5月から仕事に復帰しました。
鬱になりわかったことは、無理は禁物ということ。頑張ってその時はやり切れたとしても一時凌ぎにしかならず、結局、身体が悲鳴をあげます。
今も心療内科に通いつつ、仕事を続けています。
出戻りしました。
以前、はてなダイアリーでブログを書いていました。
10年以上続けていましたが、とある理由で止めました。
書きたい欲求がなくなっていたのと、情熱がなくなっていたからです。
この度、1年数か月ぶりに今度ははてなブログに戻ってきました。
あの頃と違うのは、堂本光一さんのファンではなくなったこと。
確か2018年の12月31日ではてなダイアリーを止めたのですが、そのうちに趣味嗜好が少しずつ変わっていきました。
その最たるものが、光一さんのファンを止めたことでした。
2003年の5月に光一さんのファンになり、それからは、キンキコンや光一さんのソロコン、SHOCK(2004年~2019年まで)に足繫く通っていました。
光一さんのファン仲間もでき、充実したファンライフを送っていました。
熱が冷めてしまうきっかけになったのは、ナイツ・テイルという光一さんと井上芳雄さんがw主演で共演した舞台でした。
舞台を観るのが好きな私は、井上芳雄さんの舞台モーツァルト!を以前観たことがありました。
今は無くなった中日劇場の前から5列目で観た井上さんの歌声に圧倒されたのを覚えています。
それから10年以上の時を経て、井上さんと光一さんが交流を深めていることを知りました。
そして、二人の共演が決まりました。
あのとき、井上さんの舞台を観たことがあった私には、嬉しさと共に一抹の不安がありました。
井上さんの舞台を観ていたので実力は知っていましたし、光一さんが同じ舞台に立ったとき、「大丈夫かなぁ・・・」という不安がありました。
光一さんに何十年も舞台の経験があるとは言っても、SHOCKシリーズが主でした。
ブロードウェイミュージカルの作品を演じてきた訳ではありません。
SHOCKには、きちんとした演出家がいた訳ではありません。
演出にジャニーさんの名前を掲げていましたが、ジャニーさんが演出をしていた訳ではありません。
それでも、光一さんを観に帝劇や梅芸に通ったのは、生の光一さんを観たかったから・・・
この一言に尽きます。SHOCKをご覧になったことのある人ならお分かり頂けると思いますが、あの作品は、光一さんの光一さんによる光一さんのための作品なのです。
光一さんが輝ける作品なのです。
光一さんが一生懸命に演じているのはわかりますし、多彩なフライングや階段落ちなど一瞬の気も抜けない舞台です。
光一さんのファンではありますが、光一さんの演技が好きだったのかと言われるとそれは違います。演技力は、・・・
人間努力次第である程度のところまではいけるかもしれませんが、こういう芸事の世界は、もって生まれた才能もあるのだと思います。
遅くなったので、一旦ここで止めます。